おこんばうちゃまどすぅ

 いやぁーヾ(*´∀`*)ノ心地よい一日だったんで気持ちよく過ごせたっすなぁ。 昼出のかかちゃんには、もやし味噌ラーメンで美味しく終了してからぁ、 気力満タンで出動して頂いたんぞなぁ。 仕上げに手間取って少し伸びる一歩手前だったけど、完食してくれたじょぉ(o(ェ)o)人。 室内干しの洗濯物も明るい陽射しだったので順調に乾燥したのでぇ、 2回目の洗濯回しちゃったのは外に並べてスッキリしたんだっすぅ。 晩餐は迷った時の唐揚げにしようかなと冷蔵庫を見たらぁ、 あらら解凍してあった鶏肉が半分しかなかったのでぇ・・、 ほんじゃ親子丼のイメージでいこうじゃないかと急遽晩餐メニューの変更でぃ。 あー唐揚げ食べたかったなぁ、ガウ的には一旦唐揚げにしてから親子丼にしたいけどぉ、 かかちゃんはそういう前衛的なのあまり好きじゃないのよねぇ・・・。 あくまでしっかりした前例がないものは認めないみたいなのでぇ、 適当にワイン入れたりできないのよねぇ・・。 (ワインでも日本酒でも煮込んだら同じなのにねぇ・・) まぁ(o(ェ)o)場合は」極端だからなんだろうなぁ・・。 パスタにホルモンの煮込みを絡めても気にならないタイプだからなぁ・・。 カレーとシチューも混ぜても気にならないのが、信じられないんだってぇ、 ガウはそれに味噌汁かけてチーズのせてチンしても気にならないんだよねぇ。 只今この瞬間の出会いに感謝あるのみぃ・・。 例えて言うなら「美味しい不味いは過去との比較からの評価・・」、 瞬間の連なりが時間の流れらしいので、確認できる今この瞬間しか生命の現存としてのぉ、 認識に繋がらないので、瞬間判断には感覚的には不可思議な味ではないのだろうかぁ。 美味しい不味いは大脳の働きでその前に小脳の生命存続の判断からすればぁ、 危険か安全かが優先するので、その時点で受け入れるか拒否するはずなのでぇ、 合わせてそれをと美味しい不味いという感情に結びつくのかぁ・・。 極みの瞬間(感覚)の判定はどこから来るのだろうかぁ。 いずれにしても未知の味を判定するとき生の判定は、命の誕生と共に身につけたぁ、 確固たる備わった生命存続欲の賜物なんだろうから・・。 そこだ!そこに比較はないんでないかぃ。 禅寺で音を立てずに食べる瞬間はそこにあるんでないだべかぁ。 ただ只管に存在しているこの瞬間の生命との対自なんでないだべかぁ。 そんな風に考えると日常の良い悪いは本来は存在しないことになってくるのよぉ。 心地よいかどうかは自身の内心の判定によるものなのだろうからぁ、 外側は存在しないのかもぉ・・・・。 酔ったかもぉ、発泡酒小さいの飲んでから日本酒2杯ワイン1杯飲んだのでぇ。 そしたらかかちゃんが無事帰還してくれたので、急いで珈琲を出させて頂いてぇ、 先ずは一息ついて頂いて晩餐の火入れを弱火で(=^‥^=) σ恩。 さぁいつでも晩餐出来まっせぇ〜かかちゃんも無事帰還してのでぇ、 今日も良い事だらけの木曜物語が終了で御座んすぅ。 今日も感謝の一日を過ごさせていただきやんしたぁ。 皆様は今日一日を、どうお過ごしになられましたんでしょかぁ、 明日も良い事だらけの一日が待っててくれるんだろうからぁ、 一緒にワクワクで歩いていこうよねぇ、。(・(ェ)・)人(_ _)コクッ 

ULTRAMANGAUの部屋ぁ

ギター戦隊じゃかじゃんレンジャー隊長がうのの日常を雑記してますぅ。

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